プロとアマチュアの違い。
音楽を聴くということは、目の見えない人が象をさわっているというたとえに似ています。ある人は尻尾をさわって「ぞうとは紐のようなものだ。」と。またある人は足をさわって「ぞうとは柱のようなものだ。」。胴をさわって「ぞうとは壁のようなものだ。」。演奏が、象を再現した彫刻のようなものとすると、お客さんとしては、尻尾をさわってそこの部分さえうまくできていれば「いい演奏」と思うことは自由ですが、プロとしてはどこを触られても象でなければいけないのです。
私が今と十年前の演奏との違いを感じるのは、どれだけ神経を使っているか、と言うことです。コンマ1秒の間に舌の動き、音程、音色、指の動き、息の流れ、音量他さまざまなことを瞬間に判断しながら全体の音楽を考えるわけです。こういった細かなことは、動物園で遠くから眺めたのでは、象に毛が生えていることに気づきにくいのと同じで、レコードや演奏会ではわかりにくいと思います。やはりそこの部分がわかっている人にレッスンをうけて知っていく部分です。
学生時代に、試験が終わった後、大橋先生が私に「細かい音が飛んでしまう」と注意して下さり、自分でもわかっていたので相槌を打っていたところ、同級生の女の子が、「どこが悪いのかわからない。ビデオで聴き直したけど、完璧にしかきこえない。」と、どこが良くないのか質問されたり、室内楽を習ったファゴットの中川先生はアメリカで教えているとき生徒から「(そんな音程まで聞こえるのは)先生はマリファナをやっているのか?(薬をやると細かい部分まで聞こえるらしい)」と質問されたそうです。また、あるコンクールが終った後、横川先生から、「きみは評判よかったよ」と言われたので、「自分ではそんなに良いとは思わなかったんですけど」と言ったら、「そんなの当たり前だよ、僕(先生自身)だって年に一度か二度しか良いと思わないのに、君の年でそんなにうまくいかないよ!」と。トッププロでも人にはわからない部分で納得いかないことが多々あるわけです。普通の人が聞こえない部分が聞こえること、その聞こえる部分がたくさんあるほど上手となるのでは。
逆にプロを目指す人が陥りやすいのは、近視眼的に細かい部分ばかりに気をとられ、全体として馬だかキリンだかわからないものが出来上がってしまうことです。
イメージする演奏の形は、ひとそれぞれトラでも象でもキリンでもよく、音楽性と言われる部分はそれぞれ自分が一番と思っているわけで、それを評価することは難しく、お客様の仕事であるわけです。音楽性の違いがあっても、細かい部分まで神経が行き届いているかいないかが、プロとアマチュアの違いでは。 |
演奏表現に間違いってない?
ときに、「音楽表現の仕方にに間違はないんだ」という人がいますが、はたしてそうなのでしょうか。演歌歌手がこぶしをまわしてロックを歌っていても正しいと思いますか?。私は、「間違った表現」ではないかと思います。ジャズをあまり良く知らないひとは、付点にすればジャズになると思ってしまいがちですが、ジャズのノリは非常にむずかしく、その違いがわからないため自分ではうまく演奏していると思ってしまう。聴く人が聴けば、「なんか変」となります(チェロのヨーヨーマは自分にはジャズのノリは3年かかってもできないと話していました。)。クラッシックの世界でも同じで、ひとつの表現方法でいろいろな曲を演奏するためへんてこな演奏がまかり通ってしまいます。特にクラッシックは楽譜から入るため「売れている」演奏家でもそういった演奏があふれています。ただ、グレングールドのような天才にかかると、変どころか、まるでそれが一番ふさわしい演奏に聴こえてしまう所がスゴイですね。 |
緊張したとき
人はイライラしたり落ち着かないとき、うろうろ歩き回ったり、貧乏ゆすりをしたりと、心の動揺が身体の動きに現れるものです。つまり、身体の動きを止めれば気持ちも落ち着くのではないでしょうか。座禅がこの理論の実践であり実証であります。本番まえに短い時間でも身体の動きをとめればいくらか落ち着くのでは?
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良い音ってナに?
楽器を演奏されている方ならば、誰でも皆良い音を出したいと思っているでしょう。でも、良い音というものが何なのか、これがなかなか難しい。まず始めに思いつくのが、「雑音」のない音。これは間違いのないところだとは思うのですが、全く雑音のない時報の音は良い音なのでしょうか。また尺八の「かすれ」やハスキーな声は悪い音なのでしょうか。はっきり言って時報のような「純音(倍音を含まない基となる音のみの音。)」で音楽を作ってもすぐに聴きたくなくなってしまいます。CDやDATの音は聞こえないとされている高い音がカットされています。DATとメタルテープで高い倍音が豊富な虫の声を録音してみるとメタルテープに録ったほうは、高い音が含まれ、そのの指向性が強いため寝転んで聴くと反射で外で実際に鳴いている虫の声と区別がつかないほどリアルに聞こえますが、DATは全くそうは聞こえません。イルカの高い倍音を含んだ声に病気を癒す効果があるともいわれています。このようなことから、倍音をたくさん含んだ音が良い音のひとつの条件であるとは言えそうです。ラジオの局間のノイズにはすべての音域の音が含まれています。ある種のノイズに含まれる高い音が尺八の「かすれ」やハスキーボイスの魅力かもしれません。
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天才と秀才。
天才と秀才。よく使う言葉ではありますが、辞書で引いた意味以上の意味があるような気がします。私が感じるところでは、二つを山登りに例えると、天才は山の中腹にいきなり現れるような人、秀才は最短距離を効率よく頂上を目指せる人という感じがします。サッカー日本代表の稲本選手は、小野選手を中学時代に見て「同じポジションではかなわない」と子供ながらに感じポジションを変えたそうです。つまり中腹にいきなり現れるとまったく追いつける気がしないもので、あきらめの気持ちが起こってしまうようです。ただ、山の中腹から登らなければ下からきた人にいつか抜かれてしまう。しかし同じように登れば誰にも到達できないところまでたどり着けるのでしょう。 |
良い先生の選び方
ここで話すのは子どものための先生ではなく、より上手になるための話です。
子供の場合は、楽しく練習できることが第一です。子供が嫌がらず、自分から通いたくなるような先生が一番です。嫌いになったらぜったいうまくなりません。
さて、うまくなりたいと思っている中学、高校生以上の人にとって、良い先生といえばやはり上手な人が一番良いような気がしますが、そうでない場合もあります。フランスの有名なフルート奏者は自分が何も考えずにできてしまうため「なぜできないのだろう」と考え込んでしまうそうです。天才と秀才の話をしたのもこのためで、山の途中に現れる天才はそこまでの山の上り方を知らないのです。 私が仕事をするようになって、まわりの方から、「横川くんの弟子はどうしてみんなうまいの?」と何度か聞かれることがありました。ある人は、「芸大に入った新入生をみても、彼の弟子だけぜんぜんレベルが違う」ともいっていました。 そこで私の経験からよい先生を分析してみたいと思います。 まず、より具体的な指示を出してくれる先生であること。文学的で美しい表現だけどよくわからないという先生はあまり感心できません。 細かいことまでうるさいくらい注意する先生。よい音楽というのは細かいことの積み重ねで大きな差になってきます。注意をされても、最初は何をいわれているかわかりません。指摘さ れ常に注意をするようになって始めてわかるのです。 できれば、演奏して聞かせてくれる先生。学校の吹奏楽部などでも伝統的にある楽器が上手という現象がよくあるように、目の前のお手本はCDなどでは得られない貴重なものです。 最初からすぐできた人よりも、ゆっくり考えながらうまくなった理論的な方、いわゆる秀才タイプが一番良いかと思います。 このタイプは、スポーツの一流の人などにも多く、あまり人の言うことを聞かず自分流を通すことも多いですが、それは徹底的に理論的に考え、自分以上に考えている人はいないと思えるからそれだけの自信が持てるのです。 ただ、間違った考えを正しいと思い込んでいる人も多く、スポーツのように結果がはっきりしない音楽の世界には山のようにいるので注意してください。まわりの評価も大切です。 |
練習しました
スポーツの解説などをされているかたが、よく「今の選手は練習が足りない。わたしの現役時代はもっともっと練習しました」などという話しをよく聞きますがどうなのでしょうか。
私が思うに、練習する人というのは常に「練習が足りない」と感じているから、はたから見ていてやりすぎと思うほど練習してしまうと思うのです。 だから、実際に練習をたくさんする人は、たくさん練習したとは思っていないと思うのですが、いかがでしょう。 たくさん練習をしようと思うより、やらなきゃまずい、という危機的な状況に自分を追い込むことが上達につながるかもしれません。小さなソロ発表会など開くといいですね。 おまえはどうかって? 私はたくさん練習しています。 |
間違える練習
みなさんも練習するときはゆっくりから練習しなさいと言われることは多いと思いますが、なぜでしょう。
私は室内楽の先生からよく、「間違える練習をするな」といわれました。 つまり、速めのテンポで一か八かの練習をして間違えた場合、それは「間違える練習」をしているのであって正しく吹くための練習ではないということです。 練習とは繰り返すことによって体や頭で覚えるということですから、間違える練習をしていれば、練習をすればするほど間違えやすくなるといえるので、練習しないほうが良いとなってしまう可能性すらあります。 また、ゆっくりすることによって、音と音の間に別の音が入っていないか、音程は正しいか、音の移り変わりはスムースかなど細かい部分をじっくり注意することができます。 逆にいえば、注意しなければ練習の意味が半減してしまうということにもなります。 くれぐれも間違える練習は止めましょう。 |
体で覚える
練習というものは、どこまでやれば不安なく本番にのぞめるのでしょう。
わたしは以前は、体で覚えてしまえば緊張しても勝手に指が動いてくれるのではないかと思っていました。 でも、皆さんは緊張してしまって右手と右足が一緒に出てしまったという経験はありませんか。 つまり、緊張状態では体で覚えた記憶というものは役に立たないことがあるということです。 私の経験では、速くなればそれだけ難しくなりますが、頭できちんと意識して演奏できるときは緊張もしないようです。 身体だけではなく、頭で覚えた記憶も重要なようです。 |
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